10月23日(土)24日(日)
突然の用事が発生して急遽帰省しました
図らずも24日午前に行われた
「三陸地方鰹一本釣り発祥の地 記念碑除幕式」
を見る機会を得た
記念碑は古館への入り口に建立されていた
地元の子どもの打ち囃子の後
11:00に開式宣言があり式が進んで行った…

神事
鰹一本捧げられているのは約束だな

除幕

右で綱を引くのは古館の当主ら
左で綱を引くのは来賓の
気仙沼市長
衆議院議員(自民党宮城県連会長 )
宮城県議会議長
気仙沼市議会議長
だったかな…

拍手!

♫ 唄い上げ(鮪立大漁唄込 前唄、本唄)
この後は祝餅まき…
そして肝心の碑文の内容は以下です
延宝三年西暦一六七五年に鮪立古館の先祖
鈴木勘右衛門は溜め釣り鰹一本釣りに来ていた
紀州の舟五艘と漁師約七十名を迎え入れて
三陸沿岸にこの漁法を導入することを試みた
そのとき周囲からは村の生活を脅かすものと
強く反対されたが末には必ず村の重宝になると
仙台藩に訴え続け村の子供にまで習得
させることでこの漁法が定着することとなった
勘右衛門は権力に屈せず庶民の助けになり
ひいては藩の為世の為になる最良の方法と信じ
一歩も退かず断乎として信念を貫いたのである
その後の三陸地方の漁業の発展を考えると
これは画期的な出来事であり
唐桑の最も誇りとするところである
鮪立大漁唄込保存会結成三十五周年に当り
茲に鈴木勘右衛門の業績を顕彰し記念碑を建立
するものである
平成二十二年十月吉日
鮪立大漁唄込保存会
(題字 第三十六代宮城県議会議長 畠山 和純
撰文 宮城県文化財保護審議委員文学博士 川島秀一)

この写真は鮪立、牛畑の進政丸だそうです
私が生まれる前かな?

パンフより大漁半纏(萬祝)

パンフより和船時代の鰹釣りの様子
タイトルに三陸沖の文字がある
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